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(ご報告)「ギャラリー蚕室でアート×哲学対話5」”場と祈り-その世界-展”からもやもやと出てくる問いをみんなで対話してみる

「ギャラリー蚕室でアート×哲学対話5」を開催致しました。
開催した日;2019年 9月23日(月/祝)午後18:45~21:00

<テーマとなった企画展>
”場と祈り-その世界-展”

https://san-shitsu.com/archives/3465/

<ファシリテーターのこばやしゆかさんからのレポート転載>

今回の哲学対話はギャラリー蚕室で展示中の「場と祈り その世界展」の企画として開催された。対話に先立って、まずギャラリーのオーナーである小沢典子さんから展示の背景を語って頂いた。

小沢さんは、大学時代に修験道の熊野三山をバイクで旅した時、那智の滝と神社を見て、祈る対象である滝があるのになぜ祈りの社が必要なのかと疑念を抱いたそうだ。もともと小沢さんは武蔵野の農家に生まれ、神棚や仏壇などの祈りの場がある環境に育った。社会人となってクールな都会の一人暮らし生活を送る予定だったが、何か自分の根がないような感覚を覚えたらしい。それはどうやら祈りや祈りの場と結びついているのかもしれないという思いがそこから生まれたそうである。感動しやすい性質がある反面、「それ本当?」と神秘的な現象、宗教的な組織や建物には疑いを抱く。その一方でそこに何かあるかもしれないという期待もある。このような思いを大学時代から持ち続けて、大学時代には上手く表現しきれなかったものを、今回3人の作家さん達と共に表現を試みた形でのギャラリーの展示空間となったそうである。さて、小沢さんの話を伺ってから哲学対話の問い出しとなった。参加者から出た問いは以下の通りである。

・場がないと祈れないのか?
・どんな時に祈るのか?
・どんな場が祈りやすいのか?
・祈りの後の状況との折り合いとは?
・シンボルの力とは何か?
・祈りと制作活動(生産活動)は結びついているのか?
・祈りに種類はあるのか?
・願いと祈りは違うのか?
・ピンチの時でなくても祈るのか?
・願いと念じるはちがうのか?
・祈り→制作→場→祈りというサイクルは自動か他動か?
・祈りの心はどこから出るの?

この中から選ばれた問いは「祈りに種類はあるの?」。この問いを出してくださった方の背景には、教会のドームの下で祈る時と大自然の中で祈る時に、その中身は違っていてもおかしくはないのではないか、場が異なれば出て来る祈りも異なるのではないかとの思いがあったそうだ。

祈りについての対話は自分の様々な体験を通して感じられた内容を語る形で進んだのだが、何人かの方が話した内容の中に、願うことと祈りは同じではないというものが出て来た。願いは我欲に基づいたものだが、その願いを超え出た所、我が消えて行くような場面において祈りが表出するというものである。それは大自然との出会いであったり、スピードを上げて行って死に近づいているような瞬間であったり、一人で暗闇にいるような場や神社に入った瞬間であったり、様々であるもののどこか我を越えて出て行くような感覚的体験と結びついているようであった。

一方、一神教を信じる参加者からは祈る対象が存在し、祈りとはそれを意識したものであって、我を忘れて没入する感覚とは異なるとの発言もあった。同様に、作品の制作時に自分の制作物を届けたいという切実で強い思い、願いがあり、それは自分が消えるという種類のものとは異なるという言葉も紡がれた。

さらに、祈りの場という面においては物や場が生み出す祈りも存在するのではないのか、祈りの時間が決められている宗教では時間が祈りを生み出す要素もあるとの指摘も出た。加えて、文末につける「〇〇をお祈りしております」と言った定型文を使用する抵抗感、単なる挨拶文として使えない感覚を祈りに対して抱いているとの発言に対しては、共感を呼ぶような場面があった。

以上、簡単であるが対話の流れを紹介した。ところで、私自身は対話を聞きながら先日潜った父島の海を思い出していた。哲学対話をしていると様々な自分の中の体験が浮かび上がって来るから思議なのだが、今回は父島の海で見たサンゴや黄色と青の縞模様の魚が私を無視して(当たり前)生活している情景に出会った瞬間を再び味わっていた。「ああ、この世界は私なんかと関係なく回っており、生き物達はそれぞれが己のリズムで生きている、何て凄いのだろう」と小さな自分から解放された感覚に再び包まれた対話であった。この情景と感覚が今回の「祈りに種類はあるの?」との問いとどのように結ばれているのかは、これからゆっくりと考えたいと思う。


■ファシリテーター:小林由加(高校・大学非常勤講師 / 好きなこと:旅と本と酒)

<哲学対話とは?>
哲学対話は「じっくり問いを考え、みんなで対話しながら深める」こと。ここで言う哲学とは、哲学者の述べた言葉を学ぶことではなく、問いを深める態度のこと。ふだんはあまり考えないことをみんなで対話を通して考えることで、新しい気づきに出会う喜びがあります。

2019-09-30 | Posted in ワークショップ, BLOGComments Closed