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(ご報告)<ギャラリー蚕室でアート×哲学対話3> 坂田あづみのアート作品からもやもやと出てくる問いをみんなで対話してみる

「ギャラリー蚕室でアート×哲学対話3」を開催致しました。
開催した日;2018年10月7日日曜日 19:00〜21:00

<テーマとなった企画展>
坂田あづみ個展 
Beyond the Suffering -いたみのむこうがわ-
https://san-shitsu.com/archives/3000/

<ファシリテーターのこばやしゆかさんからのレポート転載>

本日ギャラリー蚕室にて、刺繍など布や糸などの素材を使った作品を作る坂田あづみさんの個展「Beyond the suffering -いたみのむこうがわ-」の会期中に、哲学対話を行いました。

今回は開催時間(19:00~21:00が)夜ということもあり、「哲学BAR」と銘打ち、手作りのレモン・チェッロ(イタリア発祥のレモンのリキュール)のソーダ割りを片手に、カレー味のクラッカーを摘まんで作品を鑑賞し、その後に問い決めをしてから対話となりました。

参加者の方々から出た問いは、
・痛みの裏(逆)は向こう側?(作品展のタイトルより)
・人はなぜ切なさを感じるのか?
・同じ作品を見て感じるものが違うのはなぜ?
・自分自身の境界はどこか?
・なぜ痛みを覆うのか?
・心でなくて体が痛いのはなぜ?
・癒しとは何か?
・痛いのは悪いこと?
・人はなぜ人の痛みを悼むのか?

さて、選ばれた問いは「癒しとは何か」でした。癒されるとはunhappyの状態から元に戻ることなのか、それとも別のものになることなのか。癒しと言っても身体的な癒しもあれば、慰めのような心の癒しもある、一体どんな時に癒されたと言う言葉を使っているだろうか。癒しのためにアート作品を見るのか、見た後で癒しを感じるのか。痛みを痛みのままぶつけるのではなく、痛みを乗り越えて成熟した作家の作品において見る者が癒されうるのではないか。痛みを痛みとして若さのままに提示された作品でも同じ世代には共感がある。癒しとは復活か。痛みと向こう側(白いクッション作品)の間に癒しが存在しているのだろうか。作品の余白に癒されるなどなど、話はアート作品における癒しとは何かという問いに自然にシフトしました。

最後に作家さんご自身からの作品解説。そもそも、100%完成したものを作るというより、余白を意識して作り、提示した作品に鑑賞者が自由に参加することで作品が完成されることを目指されているとのこと。西洋的な美術に憧れながら、そこに日本人的な余白の感性が入りこんでいるそうで、それはイギリス留学中から指摘を受けていたそうです。作家さん自身はごく自然に余白を大切にされて来たとのことでした。私は余白を今まで意識せず、ごくごく当たり前のように作品の一部として受け止めていたので、自分の中にある余白文化に気づかされることになりました。


■ファシリテーター:小林由加(高校・大学非常勤講師 / 好きなこと:旅と本と酒)

<哲学対話とは?>
哲学対話は「じっくり問いを考え、みんなで対話しながら深める」こと。ここで言う哲学とは、哲学者の述べた言葉を学ぶことではなく、問いを深める態度のこと。ふだんはあまり考えないことをみんなで対話を通して考えることで、新しい気づきに出会う喜びがあります。

2018-10-07 | Posted in ワークショップ, BLOGComments Closed